霊能力は魂の本義に反し、霊視やお告げは危険

霊視とは霊が見せているものであり、あらゆる霊視やお告げに頼る生き方は危険な道です。霊視というのは、目には見えないものを見ることで、これをリモートビューイングとか、遠隔視ともいいます。幻視ともいいますが、その言葉のとおり、本人にだけ映像が見えているものです。医学的には幻視で、これは精神病の症状の一種です。統合失調症や老年性幻覚症などでみられます。医師の診断を受ければ、このように病気の診断を受けてしまうのです。

目次

霊視の実態を知る

霊視は、スピリチュアルカウンセラーや霊能力者の場合は、霊的存在が見せている映像を拾っているに過ぎません。正神界の存在の与えるものがありますが現実にはそれは稀有であって、巷にあふれるものはすべて紛い物。実際にはほとんどが動物霊、ハグレ眷属などが見せているものです。これらの霊能力は確かに便利かもしれませんが、それが相談者などをほんとうには救えず、幸せにもできないものであるところが問題なのです。

霊能力は人生の本義に適わない

その理由は、こうした存在に頼るその心根そものもが人生の本義に適わないものであるからです。試行錯誤して精進努力して人間が魂を磨くために生まれてきたのに、自己責任で努力するのではなく、霊にお告げをもらって、楽をしたい、ずるをしたいという気持ちが天地の法則に反するのです。それゆえに本物の神仏がおかかりになって見せている霊視はなきに等しいものと考えてよいです。その能力を商売に使う時点で道に外れます。動物霊の入れ物に成り下がった霊能力者のお告げに頼る道は、決してあなたを幸せにするものではありません。もし、本物のインスピレーションがあるとするならばそれは、人としてあらん限りの現実的な努力を重ねたその先のギリギリの場面で湧いて来るヒラメキこそが正神界からのメッセージだといえるのです。

人が作り出す世界ゆえに多様性を持つ霊界

ハロウィンは、キリスト教が広まる前のケルト人の祖霊祀りが起源。日本でいえば、お盆やお彼岸のようなものです。それがキリスト教にとりこまれることで、祖先を供養するはずが、怪しげな死者の霊、おばけを扱うようになり…。キリスト教がひろまるまえのヨーロッパでは、ゲルマン民族を中心に、家系図をたどると祖先がゲルマン神話の神様につながっている豪族、部族王などがたくさんいました。アングロサクソンも同じです。ちょうど、日本の皇室の祖先が天照大御神であったり、藤原氏の祖先が天児屋根尊(あめのこやねのみこと)という天孫降臨のときに活躍した神様であったり、するのと同じ、感覚です。それがキリスト教の流布により、その伝承がとだえていきました。神社で「人は祖にもとづき、祖は神にもとづく」と書いているのをみかけますが、古代のドイツやフランスあたりでも、そのように信じられていたのです。ハロウィンはそんな時代からの生き残りの伝統儀礼です。

霊界の実相

霊界の様相は、アジアとヨーロッパではかなり違います。また日本の霊界も日本独自の要素を持っています。霊の意識レベルによって、天国界から中有霊界、そしてその下の地獄界と、霊層が多様に分化しているのは、どの霊界も同じですが、その世界の様子は、民族や国や地域の独自の文化や歴史の影響を受けて多様性があります。時代をさかのぼれば、そもそも霊界の中に、天国や地獄はもとより存在しませんでした。すべては太古からの長い人類の歴史の中で創造されて形成されてきた霊界なのです。霊界はこれからも時代とともに進化し、さらに多様化していくことでしょう。天国世界もまた上には上があり、進化の階梯は限りなく、存在しているのです。人の意識はどんどん高まり、神の世界までつながっていくのです。