生まれ変わりを信じることは危険思想なのか?

『人生の意味を希薄にし子どもを蝕む生まれ変わりを信じるとは、愛とアイデンティティーがまったく欠落した危険思想である。』という批判をたまたま目にしました。インドやミャンマーやブータン、ネパールなどの仏教国やヒンズー教国の人の多くは輪廻転生を信じています。

ユダヤ教にも生まれ変わり思想があります。古代ギリシャの哲学書にも輪廻転生が記述されています。批判内容が正しいのであれば、これら二十億を越える多数の人々はすべて、愛もアイデンティティーもなく、人生の意味を希薄にしている人々ということになってしまいます。この批判を書いた人物は、そのようなことも理解できないということがうかがい知れます。生まれ変わりを信じることを激しく攻撃する人の多くはキリスト教徒か唯物論者です。(ただし原始キリスト教には転生思想が存在していました)

「生まれ変わると考えるから自殺をする若者が増える」と書いた後でこの批判文を記載していたのですが、ここに、そもそもの誤解があります。自殺しても良い霊的世界に行けず、暗い世界で苦しみが続きます。暗い気持ちで自殺するので暗い霊界にしか行けません。苦しみは何も解決しないのです。そして次に生まれ変わった時には、自殺する原因になった人生の苦難をそっくりそのまま再び体験する運命となります。

いじめで自殺したのであれば、来世でもいじめられ、お金に困窮して自殺したのであれば、来世でもお金で自殺するほどに苦しみます。そして、自殺という逃避手段を選ばずに生きて問題を克服できるまで、この繰り返しになります。それは本当に不毛なことです。それゆえに自殺は不毛だと悟ることになります。生まれ変わりを正しく理解すれば、自殺など絶対にできません。同様に愛やアイデンティティーも、生まれ変わりを知ることで、もっと深くなるのです。因果応報の法則というものがあり、前世で人を不幸にした分だけ今生で自分も不幸になり、前世で人を幸せにした分だけ今生で自分は幸せになります。愛を出した分だけ返ってくることがわかるのです。

つまり愛を失うどころか、愛こそがもっとも大切だと悟るのです。そして、輪廻転生している実体としての自分、つまり魂としての自己を認識することで、自己確立が起きます。これは禅でいう「見性成仏」の世界と同じことです。このように前世療法から導き出される生まれ変わりの法則とは、人生を有意義にして生きる希望と目的を思い出させる正道なのです。信じないほうが、むしろ危険思想だと思います。死んで無になるのであれば自殺すれば楽ですし、つかまらなければどんな悪事も可能になってしまいます。どちらが危険思想なのか、これで明らかです。