魂向上実践塾で人生好転のためのトレーニング

守護霊とは前世療法において魂のガイドとして説明されている存在であり、この時代に生きる人なら誰にでもついています。すでに高級霊となっている魂の先輩が後進を育成する家庭教師の役を担う仕組みです。人類の長い歴史の中で現在のような仕組みになりました。守護霊は天国界の住人ですので、完全円満な理想的人格です。そうでなければ死後、天国界には入れません。誰からも好かれる人格をもち、聡明で悟りがあり、先を見通して人を導かれます。生前も立派な生き方をして人を助け幸せにし、社会的にもそれなりの足跡を残して、他人の何倍もの精進努力を重ねて、地位や名誉や権力も得ていた人たちです。しかし、その地位も名誉も権力もすべて、人様の幸せのためだけに活用し、私心なく生きた人です。ですから、亡くなってまもない身内が守護霊になることはほとんどありえません。父母、祖父母、伴侶などが魂のガイドになることはまずないということです。

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この世で足跡を残した偉人が守護霊となる

なお、心だけ立派でも、地上で足跡を残せない場合、また、生まれ変わり修行をやり直さないといけません。本当の悟りとは実行の足跡になって現れるものだからです。ですので、地上世界に足跡を残さなかった守護霊は存在しません。歴史上で有名か無名かは別にして、必ずこの世の苦労を乗り越えて、なんらかの善行や慈善事業や社会的活動を残した人ばかりです。修道女や神官や禅僧ばかりではなく、領主や王様や代官や庄屋さん、商売人、教師や医師や芸術家などその職歴もさまざまです。守護霊に匹敵するほどの心がけがあるなら、守護霊の応援はあふれるごとくふりそそぎ、運勢は順風です。

努力した時にはじめて応援してくれる

しかし、一般的に私たちは、自分なりにがんばっていても神仏の目からみればぜんぜん足りないのです。そこを謙虚に反省し、いっそうの精進努力を守護霊に誓いなおすことから、始める必要があります。守護霊は守る人を支配してはいけない約束です。正しい努力がないのに幸運を授けたりはしませんし、怠け者を先へ先へ導いたりはしてはいけないのです。そういうことをするのは邪霊であり悪霊です。悪霊は人間を支配しようとしてあれこれ干渉します。本人の精進努力がないと守護霊は応援できないのです。また、本人が神仏や守護霊に意識をむけて祈るときはじめて具体的に動くことができるのです。

祈りと努力が天佑神助を引き寄せる

人が真心を尽くして誠心誠意の生き方で精進努力をしているならば、祈りがなくても、その志をとげさせるように必ず護ってくださるのです。そのような人が祈りをささげて行動するならば、なお、いっそうの加護があるのが当然です。守護霊の加護を十分に得られないとしたら、それは、感謝より不平不満が多く、愛するよりも憎悪が多く、自分を反省するよりも周囲を責めているからです。心がけを改めればもっと状況がよくなります。守護霊の応援も神様の加護も、もっと増えてきます。うまくいかない原因を自分の外側に見つけようとしていると、守護霊とは波長があいません。自分は悪くなくて、家庭環境が悪い。自分は悪くなくて、親や周囲が悪い。自分は悪くなくて、会社の同僚が悪い。このようにすべての原因を自分の外部において、自己正当化をはかろうとしていると、ついには神仏や守護霊が悪いのだという方向にさえ向かいます。

すべては我が不徳の致すところ

このように責任を外部におしつける限り、自分の理想を永久に実現できません。なぜなら、人生を決定する要因がすべて外部におかれているからです。外部要因が自分を支配しているなら、運命の奴隷です。この思考法は何でも人のせいにできるので、気が楽かもしれませんが、自分の人生の決定権はすべて自分以外の存在にありますので、そのような世界観では運命を自分の意図するようには変えられないです。不本意な出来事や環境への、正しい受け取り方は「すべては私の不徳の致すところで」というものです。自分の心がけに何が足りないからうまくいかないのか、自分の考え方に何が足りないから人に好かれないのか、自分の内面的なあり方を反省し、内面から、自分を変えていく努力をしなければなりません。

魂を磨くため生まれてきている

すべては因果応報なのだから、自分の人格を磨き、完全円満な理想的人格をめざし、神仏の境地に近づく工夫を重ねる必要があります。そうして、自分の霊格が高まれば、良い引き寄せが起こりやすくなります。なぜなら、「良いこと」しか思わないから、「良いこと」しか起こらないのです。この状態が守護霊がもっとも動きやすい状態です。ものごとをどう受け取るかで次の引き寄せが決まります。コップの中に水が半分あるのを見て、「もう、半分しか残りがない、最悪だ」と受け取るか、「まだ、半分も残っている、よかった幸いだ」と受け取るか。マイナスに思えば次の引き寄せもマイナスに。プラスに思えば次の引き寄せもプラスになります。事実は同じでも、受け取り方が未来を変えてしまうのです。「試練を乗り越えて、努力を積み重ねる、その真心が守護霊や神様を動かすのだ」ということを悟っていたら、「むしろ実現までの困難が多ければ多いど、それをのりこえた後の神様からのご褒美が多いので、とてもありがたいことだ。」と、すべてを感謝で受け止めることができるのです。

ほんとうの守護霊はお告げなどしない

また、いろいろ不本意な出来事があっても、「こうして大難が小難となって、業ばらいをさせてもらっているのだな。これでいっそう開運が近い。ありがたいことだ。」とすべて感謝で乗りこえることができるのです。守護霊をもっと動かし、その応援を引き出し、人生を大きく大転換して理想実現するための極意です。なお、巷の霊媒者による守護霊のメッセージと称するものはほとんどが邪霊のまやかしであり、信用してはなりません。なぜなら、守護霊はお告げやメッセージを原則、禁止されているからです。守護霊の加護と応援は自然な出来事の中でなされ、不思議はありません。ごく自然のうちに物事がすいすいと好転するのです。自然に運が良くなり、そこに不思議やオカルトはありません。

前世療法と魂を磨く生き方

拙著『前世療法 医師による心の癒し』で、パワースポット活用法をご紹介していますが、これに関する質問がたくさん来るので、あらためて解説を補足しておきます。氏神様、産土神社や鎮守神社も一の宮と同じように大切であると言っている専門家の本もあります。また雑誌などではいろいろな寺社がパワースポットとして紹介されています。いったいどんなところにいくのがベストなのでしょうか。そもそも神社の祭祀は、「神は人の敬によりてその威を増す」という御成敗式目の言葉のとおり、人の崇敬の念が強く結集することが、重要です。フランスのモン・サン=ミシェルと、霧島神宮の共通点を考えてみて下さい。それは祭祀が長年にわたり厳粛に維持されてきたというところです。モン・サン=ミシェルは、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地でした。708年、司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けて教会となり、巡礼者が来る聖地になりました。霧島神宮では、一年中、「祭事」があります。神職が多数集まっての祭祀を二千年前から繰り返しています。「神は人の敬によりてその威を増す」という御成敗式目の教えのとおり、毎月、何回も祭事を行っています。

おかげ信仰を否定し普遍的信仰心を持つ

神職が多数常駐して、祭祀を頻繁に行う一の宮レベルと比べて、年に数回しか神事もなく、祈りの結集などがないところとでは、神威に大きな違いがあります。たえず人々の敬虔な祈りがそこに結集していることが大事です。産土や氏神を理論的に主張することは自由ですが、そこに神様がいらっしゃるのかどうかです。そして、その神様と一体となって、世の中を改革して実社会に益する行いをしてこそ意味があります。それがなければ、「おかげ信仰」です。自分が神様の代行者となりこの世(自分とその周囲)を良きものへと創り固めなすことこそ意味があるのです。「神は人の敬によりてその威を増し、」の後にこんな言葉が続いています。「人は神の加護によりて運を添う」この原則を理解したうえで本当に力となる神様の加護を授かり、人生を激変させることが大切です。幸せで豊かで自己実現している人でなければ、なかなか人様のお役に大きく立てるものではありません。そういう自分磨きをするときの二人三脚を誰と組みますか?近所の小さな神様ですか?コーチでも師匠でも、どんな先生につくかで結果に大きな差があります。著書ではその中でも特に安全なところを推奨しているのです。

祈ることができないのは体験が不足しているから

祈ることができないという人がいます。たとえば、こんな願いはどうでしょうか。自分の愛する配偶者や親や子供が、不治の病いで、あと半年で死ぬというとき、神様にお願いすると助けてもらえる可能性があるとしたら、そのお願いをするかどうか、あなたは迷うでしょうか?もし、この人にお願いすることで愛する人が助かることがわかっていたら、迷わずにお願いすることを選択しませんか。もちろん他に方法があるならその方法もとるかもしれませんが、しかし、それだけに任せずお願いすることもするでしょう。なぜなら、必ず確実に叶えたいからです。それはその願いが真剣であり、絶対に叶えたい願いであり、何かを犠牲にしてでも叶えたいとまで思える願いだからです。愛する人を救いたいというあなたの願いは真剣であり真心にもとづく思いです。さて、今度は実際の願望について考えてみましょう。あなたにとって、その願いはどれほどの真剣な願いであるかです。もし、本当に真剣であれば迷う余地はないでしょう。もし、迷うとしたら、それはその存在を信用できない場合です。つまり、神社に行き真剣に祈っても神様が叶えてくれることなどないという考えがあるなら、自分の中でこの行動は無意味で、無駄なことになるので実行できないです。その壁を突破できる一つのきっかけになるのが前世療法での神秘体験です。前世療法では、魂のガイドである守護霊と対話したときに神霊世界への実感が得られます。それが「自分が守られているという確信」になることで、目に見えぬ存在に祈り、二人三脚で歩む道が始まります。この不安定な時代をどうやって乗り越えていくのか、迷い、悩んでおられるかたは、魂向上実践塾に入塾しませんか。「みんなで開運しよう!魂向上実践塾」に入塾し、どんどん質問をお寄せ下さい。
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