性格の偏りをとると人生脚本が書き換わる

自分の性格の偏りを自覚し、そのバランスをとるように心がけていくと、潜在意識の浄化が進みます。すると、人生脚本が書き換わり、運命が軌道修正され、より理想的で幸福感に満ちたものに改善されます。自分の性格を変えて運命を好転させるためのエッセンスだけを集約した「魂の黄金法則」があります。これは自分自身の修養の方向性がわかるようになっています。潜在意識→想念→祈り、と、つなげることで理想実現を最速化します。

行動修正~あなたの悪いクセを改めると幸せが叶う

聖書の中では、パウロが、『絶えず祈っていなさい。絶えず喜んでいなさい。』と、いっていますが、この真の意味がわかります。 自力での訓練を促進してくれるのが、前述の「魂の黄金法則」です。自分での改善努力ができないぐらいに状態が悪い人の場合、おすすめです。現在、かなり行き詰っていて、努力も思うようにできないという人の場合、おすすめです。心を整えるときに重要なものさしになる書物に『中庸』があります。
『中庸』『孟子』『大学』『論語』を四書といいますが、その中の一つが、『中庸』です。現代語訳されているのでお読み下さい。新興宗教などの教えは、ほとんど四書五経か、大乗仏典に由来しています。四書五経や大乗仏典を読んでいる人には、それらの二番煎じになっていることがわかるのです。その『中庸』にこう書いてあります。「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節(せつ)に中る(あたる)、これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して、天地に位し、万物を育む。」この節度という部分が「中」のポイントで、この節度を失った状態がメンタルの病んだ状態ということになります。「中」の実現の方法というのは人によって違うものです。なぜならば人はそれぞれ偏りを持つからです。その人その人にとっての中というものがあります。

人格の歪みの解消方法

漢方では寒熱虚実というものさしがあります。体が冷える寒の人には、その逆の熱を補う生薬を用います。余分な熱をもつ人には、寒のほうへ向ける清熱の生薬を用います。虚の人にはエネルギーを補い、実の人には余分なエネルギーを排泄させます。つまり漢方もまた『中庸』の教えにそっているといえます。節度を身体に取り戻すのです。人生の悩みを解決するとか、心を癒して元気を回復する時にも、その人の不足している部分を補い、過剰な部分を除くということが肝要になってきます。引っ込み思案過ぎるために行動ができない人には、行動できる勇気を補い、試練に飛び込めるように導きます。我が強すぎることで周囲とぶつかり苦労する人には、謙虚さを補い、感情をコントロールできるように導きます。悪いクセを改めるという言い方もできると思います。クセがある人という表現がありますが、クセというのがその人の偏りなのです。その偏りが人生を困難なものにしていることに気づき、改善の方向性を悟ることが大切です。自分の偏りとは何だろうか。自分の改めるべきクセとは何だろうか。これを考えていくことが、加速度的に人生を良い方向に向かわせる秘訣です。人生をどうしたいのか具体的に決めることが大切です。

立志発願なきところに進歩向上なし

どこかの教会などで、「神の御心のままに生きなさい」と教えられて、人生に主体性をもたなくなり、自分への自信もなくなって、そのうち不安が増大してかえって悩みを増してしまう人がいるようです。教えてくれる牧師か神父の教え方がずれているのです。何でも受容して主体性をなくせという意味ではありません。すべてに誠心誠意尽くし真心で生きるなら、それが神の御心に適うあり方なのです。もし、神の御心のままに私心を捨てて生きるのであれば、その人は、その決意の日から、すべての物事を誠心誠意、真心をこめて取り組み、自分という人間の才能を可能な限り磨き、世のため人のために役立てる道を開き、周囲の人々に言葉と行動で愛と真心をつくして、その「神の御心」を実践するはずです。それが真の神の道です。そして、自分の今おかれた立場と状況の中で私心を去り、ひたすら周囲の幸せや人類の幸福のために地道に全力を尽くすことが正道となります。それが本当の「神の御心のままに生きる」意味です。ところが、この言葉を「運命を受け入れて流されるままに生きること」と勘違いしてしまうことから、間違いが始まります。

自己実現の超重要ポイント

自己実眼の鍵として、「志を持って生きなければ魂は磨けない」ことを覚えておく必要があります。この世に生を受けた以上、人は誰でも人生に志を立て、自分の人生を素晴らしきものに創造する責務があるのです。一言で言えば「人には幸せになる義務がある」のです。その義務を果たさないから、心は悩みと苦しみに苛まれるのです。この意味で悩みと苦しみは天からの警告です。本当になすべきことに誠心誠意打ち込んでいると、悩むヒマなどありません。その出発点は自分の人生をどうしたいのかを具体的に思い描くことなのです。すべてはそこからです。ビジョンが定まれば、後は進むのみです。そして、それはキリスト教のいう「神の御心」であり、儒教のいう「天命」であり、仏教でいう「仏道を行ずる」であり、神道でいう「日常において神を行ずる」であるのです。「すべてを捨てるとすべてを得る」。道教では、「老子」の言葉で「道するものは日に日に損す。損して損して無為となす。無為にしてなさざるはなし。」とあるのも同じことです。自我とかエゴがどんどんなくなると究極には不可能はなくなるという意味です。没我没頭の努力ができないのは我を捨てられないからです。まずは立志発願、次に没我没頭をしましょう。あなたは人生にどんな志を立てますか?天下万民の幸せにつながるような大きな志を立てて、それに向かって、全力を尽くす過程で、小さな自分の我を捨てる修業を重ねていくことこそ、本当の意味で、「神の御心のままに生きる」ということになるのです。立志発願のないところに、良き人生は生まれません。立志発願とは夢と希望です。幼子のように明るく前向きで元気な心の状態です。

想念転換法と自己暗示の基本

「想念とは、言葉である」と考えると、想念の転換をスムーズに行えるようになります。心に浮かぶものは、言葉であったり、イメージであったりしますが、それは必ず、快適感や不快感をもたらします。不快感をもたらすものは、多くは不安な言葉です。自然に浮かぶのが「不安感」に分類されるなら、それを見つけ次第、そくざに切りかえる必要があります。意図的に自分で明るく安心感に満ちた想念を浮かべて、塗り替えていくことが大切です。どうすれば想念を塗り替えて転換できるのか。想念の転換の極意は何か。それは、「ぶつぶつと、つぶやきつづけること」です。ぶつぶつと、つぶやくセリフが重要です。「すべてはうまくいっている」「私は日に日に幸せになっている」「どんどん好転している」「大丈夫、すべてはよい方向にむかっている」といった言葉をセリフとしてつぶやきつづけるということです。不安感が出ているときは、否定的な内容のセリフが心に浮かんできているはずですが、それらのネガティブなセリフをこのようなポジティブなセリフで言い換えます。この作業を朝から晩まで繰り返します。もし、途中で、中断してしまっていることに気がついたら、即座に再開します。想念転換法を実践する上では、一日の中でも再開したり、中断したりの繰り返しになります。ふと、気が付くと、実行が中断されていたりします。それでも継続していると、中断は次第に減ってきます。これは、訓練次第で、誰でも上手にできるようになります。この方法が自分でなかなか上手にできない人は、拙著「前世療法 医師による心の癒し」を何度も音読すれば、次第にできるようになります。

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