因果応報の法則と運命改善について

【質問】因果応報は避けられないのですよね?そして因果応報でない事象もないのですよね?ではなぜいじめなどが途中から避けられるのですか?

【回答】
「因果応報の法則があるから、前世でいじめをした人は、今生でいじめられる。だとしたら、いじめから逃れることはできないはずではないか。」ということをしばしば質問されます。この質問者の方がいちばん理解できてないことは、私たちは時々刻々にたえず原因を作り出しながら存在しているのだという基本的事実です。原因があるから結果がある。これが因果応報の法則です。前世での原因が今生において負の運命という結果をもたらす場合はあります。しかし、負の運命と一口に表現しても、その中身は、たえず変化します。なぜなら時々刻々に新しい原因を作り出し、その結果が戻ってくるからです。

目次

時々刻々に新しい原因が生み出されている

人間の運命は確定はしていません。未来は常に変化します。それは因果応報の法則が働いているからです。いじめが途中から避けられる場合がありえるのもこのためです。いじめに限らずいかなる災難にも回避できる可能性が常に残されているのです。人間は、時々刻々に、新しい因を生み出しています。はるかな過去から、はるかな未来まで、時々刻々に、新しい因を生み出していきます。そして、そのすべての因に対して、結果が生じます。これが因果応報です。今の自分の位置から、ほんの三年先を考えたとしましょう。今の自分の位置から見ると、自分の過去からの原因の結果が、これからの未来に対してどんどん返ってきます。そうやっていろいろな運命がふりかかってきます。災難がきたり、苦しみが来る場合もあります。良い原因を作っている人には、幸福や喜びが来るのです。

新しい原因が新しい未来を創出していく

しかしながら、わたしたちは時々刻々に因を作りますから、過去に作った因がもたらす結果に対して、新たに作り出す因が影響を及ぼしていきます。三年先に大きな試練を受けないといけない、そういう原因を、今、作ってしまった人であっても、今から三年間に、善徳を積んで、愛と真心で人のために尽くして生きると、その行為が新たな因として積まれます。この新たに積んだ因は、過去からの因を修飾します。その結果、運命は微妙に変化します。苦難が来た時、それを乗り越えられるように助けてくれる恩人のような人が新たに現れたり、周囲の環境が微妙に変わるのです。すると、本来であれば、自殺しかないほどに苦しむ状況が三年後に来るはずだったのが、苦しみが来ることは来るけれども、それをなんとか勇気を出して乗り越えて、克服できるような運命に変容することもあるのです。

運命は刻刻に変化するが因果応報は作用していく

もちろんその反対に、三年先までにさらに悪事を重ねて人を苦しめる毎日を送ったり、何の努力も積善もないまま、遊惰安逸に過ごせば、いっそう悪い因を上乗せしていくことになるので、三年後の災いが当初の予定よりはるかに激烈な凶事となってやってくることもあるでしょう。あるいは三年といわず、次期が早まり、二年でそれが来る場合もあるかもしれません。このように、因果応報はしっかりと明確に作用します。人間は運命をより良く変えることもより悪く変えることもできるのです。多くの人は、残念ながら、因果応報の法則を知らず、よほどのことがないと改心しないので、この説明で書いたように、善事を積み重ねて大きく運命を変えることができる人は少ないのです。そして多くの場合、自分が被害者となり、報いを受けた後でようやく改心し、悟り、心が改まることになるのです。因果応報の法則はそういう魂の学びのために働いているのです。

因果の報いを受けて魂は悟る

しかし、可能性としては常に改心の機会は用意されています。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編小説のように、神様はどんな悪人にもチャンスは与えているのです。このことが理解できたら、「因果応報の法則なんて存在しないんだ!何をやっても自由だ。悪事の報いなんてないんだ」というのは非常に愚かなことだとわかります。因果応報の法則は厳然として存在しますので、悪事の報いも、善事の報いも時々刻々に受けとるのです。ただし、原因を作ってから結果が戻るのに若干の時間差があるので、わかりにくいだけです。私たちが運命をいかようにも変えられるのも、因果応報の法則があるからこそです。だからこそ、日々、良い因を積み重ねることが大切です。道に落ちているゴミをひとつ拾うだけでも、善なる心でそれをしたのなら、善因をひとつ作ったのです。逆に人の迷惑も考えず道端にポイ捨てをしたら、そのエゴイズムの心は悪因をひとつ作ったのです。

すべてが未来にその結果をもたらす

未来は、日々の生き方次第でいかようにも変わりうるのです。前世からの結果として今生の生まれ出るところは決まります。どの国のどの家のどんな家庭環境のもとに誕生するのか。そして、誕生してからのおおよその人生の流れまで、ある程度、大枠が決まって生まれてきます。しかし、生まれ出た後の生き方次第で、それはいかようにも調整、軌道修正できる可能性も残されています。もし、神仏の御心にかなうような正しく立派な生き方を日々に積み重ねて、善徳を積みながら、魂を磨く生き方を継続していれば、三年、五年、十年と、時間がたつほどに運命は大きく変容してきます。一日あたりの差は微差かもしれませんが、それが三年、五年、十年と積み重なるうちに、信じられないほど大きな運命の改善をもたらすのです。もちろんその反対に、良い運命に生まれついても、その後、悪事を重ねているうちに、どんどん悪い方に変化して凋落してしまうこともありえるのです。