邪悪に対する時間の裁きと天地自然

世の中には、自己中心な人や悪意を持って周囲に反応していくような人も存在しています。サイコパス(反社会性パーソナリティ障害)の人は、悪意を持って他者を利用したりだましたりします。そのような人は弱者をいじめたり、圧迫したり、迫害したり、苦しめる行動をするものです。そういう人は最終的にどうなるのでしょうか。

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因果応報の裁き

Xさんという男性の話を例にあげます。Xさんは少年のスポーツのコーチをしていました。Xさんは思いやりの心に乏しく、子供達にもつらくあたり、気にいらない子供にはいじめのような仕打ちもしていたのです。子供たちの成長を見守ろうというのではなく、自分の思い通りの駒にして試合に勝つというゲーム感覚で取り組んでいたのです。Xさんが町内会の会合に出た時、その町内での夏祭りのイベントの話し合いがありました。その会合には妊娠している女性が何名かいました。「夏祭りの準備の力仕事で重い物は持てないので免除してほしい」という妊婦さんに、Xさんは「そんな人にはお腹にボールをぶつけたらいいのや!」と、平気で心ない悪態をついていたのです。どんな場面でもこの調子なのです。数年後、Xさんは食道癌で死去しました。

寿命はこうして縮む

Xさんが30代後半という若さで死去したのは寿命もあったかもしれませんが、おそらくは本来の天寿はもう少し長かったはずです。Xさんのような生き方をしていると、嫌がらせをされた人間が必ずXさんを憎悪します。その憎悪の念は生霊となり、Xさんに憑きます。一体や二体では想念をイライラさせたり落ち込ませる程度のものですが、生霊が十人、二十人、三十人と積み重なると、生霊は生命力の流れにくさびを打ち込むので、首や喉や胸やお腹に癌ができたりするのです。癌のほか、心臓発作であったり、脳卒中であったりもしますが、癌が多いようです。交通事故に巻き込まれて死ぬこともあります。これが生霊による災いです。

人を呪わば穴二つ

人をいじめた人間の末路が幸せでないのは、生霊により仕返しされてしまうからなのです。一時、悪事で生きても、時間の裁きを受けて、必ず悪は滅び去るのです。これが天地自然の働きです。もし、この世で逃げ延びても、霊界では地獄界が待っています。来世、生まれ変わったら、今度は逃げようのない状況で、逆の立場に立たされることになるのです。ですから、私たちは、社会的必要時には訴訟したり警察に通報する場合もありますが、それ以外は、聖書に「仇討ちは神に任せなさい」とあるように、この天地自然の働きにゆだね、時間の裁きを待てばよいのです。もちろん、自分が相手を憎悪して生霊を出すことはやめておくほうがよいです。なぜなら「人を呪えば穴二つ」の言葉のごとく、生霊は両刃の剣だからです。

生霊を出せば不幸に陥る

生霊を出した本人も必ず、運気低迷、運気下降、そして、多くは、うつ状態になり、「死にたくなる」からです。反対に、その悪人の改心を祈ってやり、愛念を出すようにすれば、自分の運気は上がり、幸せになれるのです。腹立たしい目に自分が出会うのもまた自分の前世や過去の因果応報によるものです。もちろん、人間関係を見極め、悪意ある人から離れ、危険を回避することは大切です。また、違法行為には訴訟も必要です。しかし、心の中の憎悪を捨てて、自分自身が天地自然の働きで衰退せぬよう、時間の裁きで自分が裁かれぬよう、ただいま、ただいまの生き方を良い因を生み出すものに整えていくことが大切です。

時間の裁きはすべての人に平等に現れる

積不善する者は最終的に滅びます。因果応報による報いは、どんな人間にも確実に訪れているのです。また、積み重ねた積善の努力はやがて報われます。 残虐な独裁者は、どうして、天地自然の裁きを受けないのですか?という疑問を持たれた方もいるかもしれません。無慈悲な殺人を重ねた独裁者も因果応報の裁きから逃れることはできません。悪人でも、持って生まれた寿命が十分な長さの場合、なかなか死なず、そこそこ長生きするケースもあります。独裁者にも、こうした事例が散見されます。しかし、やがては寿命も尽きて必ず死去します。死ねば、もはや天の裁きからは逃げられないのです。あの世での数千年の懲役が待っているのです。