「祈っているのに悪くなる」というとらえ方は間違い

教材で伝授しているような参拝の仕方やお祈りの仕方で推奨神社でご祈祷を受けると、身の回りにさまざまな変化が出て来ます。多くの場合、神社参拝を始めると、いろいろな物事が好転したり改善したりして、神様の御加護を実感できる体験をするはずです。その一方で隠されていた問題点があぶり出されたり、転ばぬ先の杖になるような事件が起きたり、大難が小難となる形で艱難が起きたりもします。

大難を小難にして救済する働き

小トラブルや小困難がいろいろ出てくるのは、神様が、あなたが気が付いていない重要な現実を、ひとつひとつ教えて気づかせてくださっている、と受け止めることが大切です。つまり、すべては守られているからこその現象であり、大難が小難になるように導かれているということです。もし、問題点に気が付かないままだとしたら、後になって、状況がさらに悪化して、ようやくすべてが判明する、ということもありえるのです。問題点が知らされたということは、「きちんと手を打てば未然に防げますよ」という意味です。あなたがどう動くかが運命の分水嶺となります。

もっと大きな苦難のところを最小限に抑えられた

もし、出来事の表面だけを見て気持ちを左右され、「参拝したのに、返って悪くなった」などと
誤解して、何も有効な手立てを打たなければ、せっかく神様が導いて、教えてくださったことが無駄になります。こんな時は、神様の導きに感謝し、そのご加護に応えるように動かねばならないのです。それでは、どう動けば最善といえるのでしょうか。そもそも、家伝の悪因縁はその先祖代々がおかした積善と積不善のバランスの結果です。積不善の部分があれば、それが衰運を呼びます。子孫が衰退するのはそのためです。そんな家運の家に生まれるのも偶然ではなく、自分の前世の積善と積不善の結果です。すべて相応の理により、符合していて、ふりかかる苦難に偶然はありません。

すべてを感謝で受け止めれば魂が磨かれる

困難な事件があった時、ふってわいた災難で一方的に相手が悪いとみなせば、そこには理不尽な気持ち、怒りしか生まれないでしょう。しかし、身の上に苦難や災いがふりかかるのは根源をただせば、自分の前世からの借金返済です。その部分をまず謙虚に受け止めた上で、この状況をどのように改善させるか、考えることが大切です。霊的障害が強い場合、神社参拝をすることで、
開運されないように邪魔しようとして、家の中にもめごとを起こして、本人の参拝への意欲を挫折させようと邪霊が妨害することもあります。このようなケースであっても、大難を小難に縮小するには、真心をこめて、人々の救済を神様に祈る必要があります。配偶者も親兄弟も友人も知人も職場の人も顧客もすべて、あなたの周囲の人々であって、あなたはその周囲の人々の幸せを祈ることで神様の加護と応援をいっそう引き出す必要があります。

夜明け前は最も暗く、開運の前には試練がある

参拝やお祈りをしているにもかかわらず、困難なことが起きてきた場合は、このような深い解釈を基礎にして、何としても適切に動かねばなりません。事態が悪くなったように見えるかもしれませんが、物事が良くなる時、一歩下がって二歩進むということはしばしばあるのです。神様の御加護というのは人智を超えており、最終的には幸せな形になるが、その途中は複雑であり、さまざまな変動があるのです。個々のカルマを背負って生まれてきている以上、前世の借金の清算をしないと開運はできません。しかし、神仏の加護を背景に清算する場合、ぎりぎりのところで守られて必ず無事に乗り越えることができるのです。これが有難い神仏の御加護です。愚痴や不満や泣き言に終始せず、大難が小難で済んでよかったと、感謝して試練を乗り越えていくことが大切です。

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