前世療法の視点から見た豊かさの獲得方法とは?

前世療法からわかる因果応報の法則についての理解が深まると、一攫千金をめざすような、いわゆるマネーゲームというのはあまりおすすめできません。マネーゲームで大金を獲得する他にも、前世の貯金を下ろすような形でお金が得られることは人生において多々あります。親の遺産をもらうのもそうですし、宝くじに当たるのもそうです。株で大儲けしたり、仮想通貨やFXで成功するのもそうです。

福祉を受け取ることや、生活保護受給などもそうです。人生の一時期、どうしようもない状況を乗り越えるために保護や福祉を利用することがあるかもしれませんし、それを否定しているのではありません。状況が改善した段階で抜け出せばよいのです。このようにどこからか与えられるようなお金を得たときに、お金に変換されることで、無形の前世の貯金は有形のお金に現実化してしまっているということを知っておく必要があります。つまり、運としての存在は消えて、お金という現物になって目の前にあるのです。

目次

前世の徳分が変化して手元に来たお金をどのように用いるのが最善か

そのお金を元手に商売を始めたり、土地を買って誰かに貸す、賃貸住宅にする、こうした形で世の中に「価値」を提供してお金を生み出す、最初の資金に使うのがもっとも良い使い道でしょう。そのようにすれば、再び、富を生み続けることになります。もし、旅行や贅沢や物品購入で散財すれば、楽しみに変わった形でそこで消えます。その次に良い使い道は、そのお金で大学に通う、専門学校に通う、資格をとる、などの自己あるいは家族の能力向上つまりお金に代わるだけの能力を養成するための資金にする道でしょう。これなら、そのお金は活きたお金となるでしょう。資格や大卒資格やある種の国家資格は、豊かさを得るために活用されうるからです。このようにお金を得たときに、それをどう使うか、魂を磨く生き方の観点から選択できる場合には、単なる運の浪費とはなりません。そしてこれは、一攫千金や棚ボタ式に得られたようなお金でない場合も全く同じです。仕事で稼いだお金をどう使うかは本人の自由ですが、ここまで解説したように、その使い方次第で、いかようにも徳分や豊かさを増すことになります。

あぶく銭のようなものを終生の収入源にするのは魂を磨く道としては問題

儲けにかかわらず趣味でやる、というのなら、まだよいかもしれません。その場合、実業を持って、趣味の範囲内でするので災いも小さくなるでしょう。人間は神仏に守られれば守られるほどに、悪いカルマを積ませないように神仏が守って下さるようになります。そのため、もし、儲けすぎたり、もらいすぎると、今度は別のところで、不意の出費があって、結果的に、さしひきゼロになります。本当に神仏の御心に叶う投資とは、社会の繁栄や優良なる起業家を助けるために行うものであり、その場合のみ、天地神明の道に合致するものとなります。マネーゲームは、どれだけ技術の限りをつくしてもパチンコやカジノなどのギャンブルと本質的には同じなのです。なぜなら、そのテクニックとは、世のため人のためになるテクニックではないからです。そのテクニックを磨いても世の中も国も社会も何もより良くなりはしません。つまり積善になりません。

テクニックを磨いてどれだけ稼いでもマネーゲームは善徳を積んでいることにはなりにくい

受け取る報酬以上に善徳が積める可能性がある仕事がもっとも良き仕事であるといえるでしょう。社会のためになる投資の場合はその道に近い部分もあります。悪いカルマを積んだり、徳分を消費しすぎて衰運となるような稼ぎ方、儲け方を選ぶことは自滅の道なのです。豊かになることは素晴らしいことですが、豊かさをめざすには、人生の本義に合致している道を歩んでいく必要があるということです。権利収入が悪いわけではありません。権利収入と一言でいってもさまざまなものがあります。ノーベル賞をとった寄生虫病の治療薬の発見をされた学者さんは、権利収入はあるといえますが、発見と研究にどれだけの人生の時間、労力をささげたのか、その陰の面を見なければなりません。しかも、その学者さんは権利収入で得たお金を地元のために美術館を寄贈して、還元しています。つまり、かえって善徳を積んでいることになります。このような方は死後も天国にいくでしょうし、来世も生まれ変われば豊かに暮らせる人生が約束されているでしょう。社会の仕組みはすべて神様が出されたものですから、本来は清濁はありませんが、それを活用する人の心根、発するところがどんな心底からであるのかで因果応報が働きます。

マネーゲームで利益を得ようというときの人の心根

その心底は、「世に益することをしよう」という、先の学者さんの心根と比べて、どれだけの差が開いているか考えて下さい。すべては発するところがどうかということなのです。その意味で株も仮想通貨もFXも、「射幸心」からの行為であり、それが庶民の感覚ではないでしょうか。ういった道をいくら追及しても、残念ながら、高い境地にむけて登っていく道の上には立てないでしょう。それよりも、どうしたら、日本の国がより良くなるか、自分たちに何ができるのか、それを考えて生きることのほうが生まれてきた目的にかなっています。お金がなくてもできることもあります。そして、お金を得る道にしても、そのような方向性にそった業種や業態はあるはずです。「このただよえる世をつくり固めなせ」と神勅をうけたのが、イザナギ、イザナミであり、伝承の上では、その子孫が日本の皇室です。この世の中を作り固めなすためには、どんなお仕事をすることがもっとも良いでしょうか?それを考えてみれば、どのような仕事を天職とするのが最善かわかるようになります。

お金を稼ぐ方法は無数にあります

健康でさえあれば、80歳90歳でも仕事ができます。100歳でも仕事をされている人もいます。100歳まで健康長寿して元気に働いて仕事をする、それを目指して、祈り、努力を重ねていく人生の中で、もし、途中で、突然死んでも、あるいは孤独死しても、そういう生き方なら、大満足ではないでしょうか?死後も良い霊界にいけるし、来世も素晴らしいでしょう。もちろん100歳まで明るく元気に生きることそれ自体が最大の豊かさであり幸福だといえるかもしれません。「お金があってこその信仰的人生」ではありません。「信仰を正しく持つから必要なお金が授かる」のが本当です。正しい想念、正しい祈り、正しい心がけ、正しい仕事の仕方、正しい人とのかかわり方、こういうことができたら、必要なお金が自然に授かるのです。お金がないという不安を持つことで人は道を誤ります。不安を持つのではなく祈ることが大切なのです。神様が守っているから絶対になんとかなる。という不動の信念を持つように祈り向かうことが本当の道です。100歳までで豊かに働けますように。という祈りが基本にあるのが正しい向かい方です。