対人関係のトラブルを解決する方法

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人情の機微を理解する

「職場でこんな嫌な目にあいました。その仔細はかくかくしかじかで、私はこのように正しく、相手はこのように悪いのです。」こういった内容の相談はとても多いです。職場だったり家庭だったり夫婦、親子、SNSなどさまざまな環境下でこうした悩みを抱えている人が多いです。

その訴えている内容はエッセンスにすると、「私はこのような理由で当然こうしたのです。なのに相手はそうじゃなくこんな理不尽な反応をしたのです。だから私は正しいでしょ?相手は悪いでしょ?」ということになります。自分からの視点だけで現象を観察し、自分だけの理屈で正論だと主張している形です。

相手にも相手なりの言い分がある

相手の側に立つとまた現象の解釈が変わります。相手なりの言い分があって、その世界では相手は正しいのです。つまり、多くの場合は、どっちもどっちなのです。どちらも正しいし、どちらも悪くないのです。犯罪や社会正義という次元になると明らかに悪い側が生まれますが、そこまでの問題でない限りは、ふつうは、どちらにも相当の言い分があるのです。相手側の見方や立場を代弁する人の言葉を聴くと、自分が責められたと感じる人も多いです。誰でも自分を承認してもらいたい、賛同されたい欲求があり、そのエゴが働くので、自然とこのようになるのです。ですから、こんな出来事があった場合、正しいのは自分だと思う気持ちは自然ですが、それでも、相手にも相応の理由があることを斟酌できる心の余裕が必要になります。

相手は相手の正義を生きている

それを理解してあげることができるのが人間理解であり、ほんとうの慈悲の眼、慈眼施というのはこれです。これがあれば、過剰に怒りの念にとらわれないし、相手の気持ちを慮る心慮の気持ちも生まれます。心慮施ができるのです。すると、愛語をもって相手に語れるようになり、愛語施ができるようになります。その時、表情は自然とにこやかであり、和顔施ができるのです。慈眼施、心慮施、愛語施、和顔施は「無財の七施」の四つです。ですから、日常に起きる対人関係の葛藤もまた、自己の研鑽の糧になるということです。常にこのような心でいる修業をしていくと、引き寄せるものの種類が変わってきますので、対人関係の葛藤は次第に少なくなっていきます。あなたにはあなたの言い分があり、わたしにはわたしの言い分がある。このことを弁えることが大切になります。

人に接する時、融和や調和をもたらす心がけが大切

それは、自分の言い分を全部引っ込めるということではありません。お互いの気持ちや立場について、相互理解を深める努力が大切ということです。自分の気持ちを伝える努力も大切です。もちろん、自分が努力をしても、相手にも自由意志があるので相手が自分の思惑どおりに動いてくれるとは限りません。