前世のカルマについての疑問

【質問】
虐待する親の元に生まれることが、前世のカルマなのは分かります。しかし、虐待によって長い年月苦しんで、それでカルマが消えるかと思えば、とんでもなく、虐待によって、さらに性格を歪ませて、さらに悪質な言動を繰り返すことになる人が多いです。これでは何のために虐待の「刑罰」を受けるのか、私には理解できないです。

【回答】

カルマの働きは刑罰などではない

こんな疑問を持たれる方はきっとたくさんおられると思います。因果応報は「刑罰」というよりも「報い」です。自分が宇宙に出した思いや行動がそのまま自分に戻ってくるだけです。良いことをしたのが自分に幸せとなって戻るとき、幸せという報いを得ています。しかし、この報いも、本人が心から感謝できないと、本当の意味での幸せにはつながらないこともあります。例えば、前世で人に善意からたくさん施しをして、その因果で、今回、裕福な家に生まれて物質的に恵まれても、心が満たされていない人もいます。人を苦しめることをしたときには、自分に苦悩となって戻るのですが、このとき「気づきの機会」という報いを得ているともいえます。この場合も、本人が心から感謝できないと、本当の意味での幸せにはつながりません。論語に「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」とありますが、自分がいやな目にあったことで「気づき」を得て、人に慈悲の心で接するようになれば、「気づき」を活かせたことになります。

苦難を糧にして人間的に成長する人は存在する

しかし多くの人は前世記憶はないので、理不尽な苦しみを受けていると思うことが多く、憎しみや恨み、ひがみなどのマイナス想念にとらわれるものです。メンタルの疾患などにかかることもあるかもしれません。苦悩もまた「学び」であると感謝できるとき、はじめて、「気づき」となり、幸せを生み出します。苦労や困難が多くても、それを糧にして、すばらしい人生を歩み、人を導くような人物もまた、この世にたくさんいます。いま、二つのパターンを説明しましたが、両方ともその鍵が「感謝」にあることがおわかりになるかと思います。なんでも感謝して受け取り、前向きに生きていく人は、前世からの影響がどんな形であろうと、自然にそれを糧にして成長していくことができるのです。そういう心の持ち方にどうしたらなれるでしょうか。一つは前世療法を実際に受けて、自分の前世の因果を悟り、今生のテーマを知ることで前向きな思考が生まれます。

受け取り方の修業を学問によって成す

それ以外の方法はといえば、昔からある心の修養の道です。江戸時代の人は、前世や因果がよくわかっていなくても、「論語」「大学」「中庸」「孟子」を読んだりして、「気づき」を得て、苦難から学び立派な人生を歩んだ人も多いです。例えば「孟子」には「天がその人に大きな使命を与える時、まず身辺に苦難を降りかからせて、やろうとしていることを挫折させる。(しかし、それを乗り越えていくことでその人が磨かれて本物になっていく)」などと書かれています。明治維新はそんな維新の志士たちの活躍で国が救われた事例です。彼ら下級武士たちの多くはどんな苦難でも「試練」だと受け止め、前向きに乗り越えて克服しました。西洋ではマルクス・アウレリウスの「自省録」や、サミュエル・スマイルズの「自助論」などが、同じように志ある若者を育て、艱難辛苦から成長させていったのです。つまり、悪い方に行くのも、良い方に行くのも、すべては本人に任されているのです。本人が、それをどう受け止め、いかにして感謝に変えるのか。魂の進化とは、まさに「受け取り方の修業」です。

因果応報があるからこそ最終的に人は改心できる

受け取り方によって、周囲のせいで私は悪くなったと、責任を周囲に押し付けてしまうこともあるでしょう。しかし、その思考は、原因を外部におく思考であり、外部要因にふりまわされる人生を引き寄せるだけです。「すべては自分次第」「すべての原因は自分にある」このことが悟れれば、どんな幸運からも、どんな不運からも人間は「気づき」「悟り」「進歩向上」の糧を得て、成長できるのです。そして、前世で虐待をしたために、今生で虐待を身に受けている人が、その結果、歪むことがあったとしても、それさえも魂の学びです。虐待を受ける苦しみ、その結果歪んでいく苦しみ、それも全部が魂の学びです。悪い方向にどんどん進む場合は、その後の生まれ変わりで、もっと大きな「気づき」(試練)を体験することになります。その繰り返しの中でどこかの時点で、あるレベルになった時点で、必ず悟り、気づき、「これではいけなかったんだ」と心からわかるようになっていくのです。そこから流れが変わります。しかし、できることなら今生のうちに流れを変えて、幸せの軌道に乗りたいものです。

あわせて読みたい関連記事: