前世療法に関心がある人の中にもクリスチャンの方や熱心に聖書を勉強されていた方もいますので、このあたりをもう一度、整理したいと思います。原始キリスト教においては、生まれ変わりは肯定されていたと考えるのが妥当です。イエスキリストは、ユダヤ教の戒律を重んじる人々に戒律よりも愛こそが大事だと、隣人愛を説いたわけですが、イエスはもともとユダヤ教を勉強していたわけで、そのユダヤ教は旧約聖書を経典としていて、そして、生まれ変わりを認め、祖先の祭祀もします。
ユダヤ教では転生や前世を説いている
「一つの魂は異なった肉体に何回も転生することができる。このようにして、前世でなした過ちを矯正することができる。同様に、前世で達成できなかったことをなし遂げることもできる」(ユダヤ教の学者モシエ・カイム・ルザ 「神の道」より)。ユダヤ教をベースにして誕生したキリスト教が、このような考え方を初期の段階で持っていたとしても不思議ではありません。実際に、初期のキリスト教司祭の書き残している手紙の中には生まれ変わりを認めている上での記述が、たくさん残されています。初期のキリスト教の教父であるアレクサンドリアのクレメンス(150年頃~215年頃)やオリゲネス(185年頃~254年頃)、アタナシウス(295年頃~373年)なども輪廻転生を信じていました。ところが、イエスの死後、聖書編纂の公会議が行われて、聖書の原典から、生まれ変わりに関する記述が削除されたことで、キリスト教が現在の形になります。古代のキリスト教では転生や前世という概念は知られていたということです。
キリスト教が前世や転生を否定した理由
紀元6世紀のコンスタンチノープル会議でキリスト教会が輪廻転生を否定する決定をして、それ以降バチカンの教義として輪廻転生が認められなくなったのです。布教の妨げになると考えられたようです。「一回きりの人生」だからこそ、いま洗礼を受けるべきと主張するためには、転生や前世といった概念は邪魔だったのです。それでも、聖書の中には、若干、転生に関する言葉が削除しきれずに残存しています。預言書の「①メシアを洗礼する者がエリヤの生まれ変わりであること、②その人はレビ族から産まれること」は有名です。ヨハネの福音書・第3章「人はもう一度生まれ変わらなければ天の王国を見られない」マタイの福音書・第5章「人は完全にならなければ、天の王国に入れない」という言葉も残っています。最初のほうはカバラ探求者のニコデモとの対話です。カバラはユダヤ密教であり、生まれ変わりを認めているので、その人に向けた言葉である以上、生まれ変わりについて肯定していると考えて良いでしょう。霊界における天国界に達するには何度も生まれ変わり完全になる必要があると理解できるでしょう。
古代ユダヤと神道の関係性
それから、神道とキリスト教の関係については、古代ユダヤからたくさんの部族が日本に渡来していると考えられる痕跡が大和言葉と神道儀式の中に多数残っています。このようなことを踏まえると、神道とは、ユダヤ教と日本列島土着の縄文信仰が融合して完成されたものだと解釈するのが妥当だとわかります。このあたりはいろいろな書物がありますが、『神道の中のユダヤ文化』などがわかりやすいと思います。いずれにしても、神道とキリスト教、ユダヤ教には深いつながりが隠されているということです。日本で発掘される土偶の中には、ユダヤ人土偶というものも発見されています。それは、ユダヤ人の司祭の服装にそっくりなデザインの土偶であり、日本語とヘブライ語には、共通の発音と意味を持つ単語が約三千語もあるということをあわせて考えても、古代にユダヤの民が日本列島に渡来したことは否定できません。9世紀から10世紀のハザール王国がユダヤ教を国教としたことから白人のユダヤ教徒が誕生しましたが、本来の古代ユダヤの民は、黄色人種です。それらが古代日本に渡来し、定着、縄文人と交じり合い、神道を生み出したと考えられるでしょう。日本に来たユダヤの民は、教典を継承しなかったので、日本文化に溶け込んでしまったのです。一方、ハザール王国が滅んだのち、欧州に散らばった白人ユダヤは、教典を継承することで団結し、世界の富を掌握しながら、現在の国際金融資本などのディープステート勢力になっていったのです。ロスチャイルド家がその代表です。